「あの頃ゆきわりそうには信がいた」

20周年記念ドラマ

「あの頃ゆきわりそうには信がいた」

原作 姥山 寛代
脚本 三浦 弘之

あの頃ゆきわりそうには「新村信明」君がいました。
ご両親は長女を亡くされておりました。信明君は最重度の障害を持っていました。ご両親はそれはそれは大切に大切に彼を育てておいででした。私たちは信明君が大好きでご両親と一緒に彼が喜ぶなら何でもやりたかった。

オーストラリア、カナダ・アメリカ、毎年のように一緒に旅をしました。ある年1週間後にドイツのボンに第九コンサート公演に行くことになっていた月曜日の夜、ゆきわりそうにお泊りをしたその明け方に彼は呼吸困難のため救急車で病院へ運ばれそして息絶えました。死亡原因は細気管支炎でした。

忘れられない信、なつかしくてなつかしくてたまらない信。
ご両親の悲しみはいかばかりであった事でしょう。それにもかかわらずゆきわりそうを励まし守って下さいましたお二人に対し、私たちは何をしたらいいだろうといつも考えていました。
そしてできたのが今回のドラマです。ゆきわりそうが20年続けてこられたのは、そこに確かに信の奇跡があったのだと思っています。

「僕は忘れない」

 作曲
中沢 弘子

 作詞
姥山 寛代

僕は 自分の家族の元へ 今夜 帰るんです
お父さん、お母さん、悲しまないで
ほんとうに楽しい毎日だった
僕は 忘れない
ふたりの事、 みんなの事も 忘れない
僕は 忘れない
天国からずっと みんなの事を 見てるよ
そして守るよ
僕が そこで元気にしている事を風で伝えるよ

ゆきわりそうの奇跡は 僕の仕業だと思ってね
十二時になると 僕の家族が迎に来ることになってるんだ
お父さんとお母さんは これからは僕が
幸せに生きていかれるように 守ります
僕は 幸せです
のりちゃん、ひさこちゃん、よしかずくん、
はらだ、みんなありがとう
天国からずっと みんなの事を 見てるよ
そして守るよ
僕がそこで 元気にしている事を
風で伝えるよ
僕の新しい旅立ちを 拍手で送ってください
みんな ありがとう

■舞台演劇「あの頃ゆきわりそうには信がいた」は、ミュージックパーティーの第3部として上演されます。
そして、「僕は忘れない」は挿入歌として劇中「私たちは目で歌う心で歌う合唱団」によって合唱されます。