「祈りのつどい」の感動よ永遠に!
記:姥山寛代
2007.8.23
於:なかのZERO小ホール
第1部
劇:不戦賛歌
幕があがった。
舞台は散歩する人、
ボール遊びをする人、
ギターにあわせて踊る人、
ビールで乾杯する人、
子供と散歩をする人
沢山の人々の日常でにぎわっていた。
ゆかいで楽しい一時だ。
突然爆音が「その時」を破壊した。
ああ、それから40分に亘り、逃げまどう人々と舞台正面の映像が映し出すのは、あらゆる戦争によって破壊されてしまったこの星地球の、身の毛のよだつ数々の不条理な場面であった。
恐ろしいのはこの映像の一つひとつが全て現実のものであることだ。
そしてそれが今も懲りることなく、更に大規模に続いていることだ。
演じるのは知的障害者で構成された「劇団みつばちブンブン」。
舞台の上で、仲間たちは恐怖におびえ泣きながら手をとりあい助け合いながら、そして死んでいく。
私たちはどこかでこの現実を忘れた方がいいと思っていないか。
仕方がないと始めから諦めてはいないか。
まさかこんなことは自分の上には起こらないと思ってはいないか。
未だに終わらないいまわしい戦争をすでに終わったものとしているのではないか。
20周年事業の一つとして企画した「不戦賛歌」は参加した全ての人に警鐘を鳴らした。
私は不戦のための一歩を自分の心に誓った。
すばらしい企画と優れた演出を行われた三浦先生とその仲間たちに敬意を表したい。
第2部
日野原重明先生(95歳)の講演
50分の講演だった。
先生は講演中ステージの上を歩きながら語られた。一度もお座りにならずに。
「前向きに障害を受け取る」というテーマだ。
……人は人として全て生きる権利があること。障害があってもなくてもだ。戦争はその生きる権利を全て剥奪する。日本は憲法9条を守らなければならない。戦争をしない事を決めた日本国民は3年後には国民投票をするのです。先ほどの不戦賛歌をもっと広めて欲しい。私は新老人の会を世界中に広めたいと思います。新老人は75歳以上、その下はジュニア、その下はサポーターです。未来のために生命のある限り人は元気でいることが大切です。たとえ病気になっても自立して生きる力と医療とを持ち合わせて人生を可能にすることです。その意味で「新老人の会」は更に広く大きな組織として考えています。一昨日私はメキシコより帰ってきました。メキシコにも新老人の会ができます……
舞台上で先生は澱みなく語り続けます。
……あなたたちは『寛怨』という字を知っていますか?その意味は『許す。自分のごとく相手のことを考え、相手の間違いを怨(ゆる)しなさいという意味です』。9.11のアメリカで起きたテロが報復としてイラクに戦火をもたらした。アメリカは『なぜこのようなことになったか?』を深く省みることが大切だった。イラクで報復の戦争をしなければ、今の世界はこのようにはならなかったのではないだろうか。報復が報復を産み、破壊が始まります。それはやがて人類の破壊につながることであるということを知らなければなりません……
講演の最後に舞台の上で先生は私にしっかりと握手をしてくださいました。
祈りのつどい終了後、ご苦労さん会にも出席してくださいました。
一人ひとりと握手をされ、そこで特にお好きな音楽について語られました。
先生の指揮で「ふるさと」を合唱。
その合唱は第九のソリストたちも出席したからということだけではなく、心のこもった美しくこだまする実に香り高い合唱となりました。
歌いながら私は涙が止まらなかった。
なぜだろう?と思いながら。
この夜のことは一生忘れることはないだろう。
第3部
私たちは心で歌う目で歌う合唱団
日野原先生に贈る歓喜の歌
日野原先生
このような人に私は始めて出会った
そしてふれた
分かりやすい言葉で、澄んだ瞳で
人の命と世界のあり方を
一つにして語れる95歳の人と
先生にとてもとても慕わしい思いをいだいた
今度生まれたら小澤征爾のように音楽をやりたいと
これから私は「千の風」を越える歌をつくりますよと
限りない夢と希望と勇気が
先生からあふれていた
そんな人に「歓喜の歌」を贈ることが私の人生にあった。
なんという幸せ。
そしてこのことは16年も続けることのできた合唱団活動の未来に何かとてつもない大きな虹が輝くことになる、そんな予感に結びついた。
ありがとう!日野原先生。