今、この暗い現実の中で

今、この暗い現実の中で

みんなが一生懸命頑張って生きて行こうと思っている。
悪いことの全てが社会の責任だとは思いたくない……が、どうも国のあり方、施策に依存していると、安心して幸せな日々を送ることが望めなくなるのではないかと思えてならない。

高齢者、障害者、子を持つ母親への一言インタビューを試みてみた。

2006年8月。いわゆる弱者といわれる、高齢者・障害者・子を持つ母親からの一言

■ケースA
(Nさん 80才)
介護保険で要支援となると4月からベットを返さなければならなくなった。
3年間使い慣れたベットを返す……。リースで月1500円ほど支払ってきたからベットが使えていた。
起きる時、しっかりと掴める所があるので起き上がることができた。
1人暮らしを続けようと歯を食いしばってきた。
ベットがなくなって畳に布団となったら、何を頼りに掴んで起きるのだろう。
寝床から起き上がるのが難しくなるという事は、80才の私にとって生活全般に関わる問題である。
暗い、寂しい、元気がどこかに飛んでいってしまう。
何とかしてもらえないか?自分で買うといくらですか?ときいたら同じものだと35万円だとのこと。
自分の葬式のためにとってある70万円ほどの預金を崩すと何とかなるが、これは自分が死んだときにみんなに迷惑をかけないためのもので、どうしても崩したくない。今年の秋は心細く寂しいです。
■ケースB
(1種、1級。車椅子で生活しているM.Hさん)
今年の4月から自己負担が発生した。私と父は一緒に住んでいるので自己負担の上限が37,200円となった。
37,200円といえば、私のお小遣いの3か月分。
旅行に行く、コンサートに出かける、ちょっとした衣類を買う、3ヶ月に1回、美容院に行っておしゃれをするとかを切り詰めるしかなくなった。
働きたい、お金を得たい、だけれど、私みたいな人が働くところがあるのだろうか?
父と私とで生活費を半分づつ寄せあって生活しているので、今回の自立支援法は喉の奥に骨が引っかかったように、いつも苦しくて痛い。
もし父がいなくなった時どうするのか、生活保護もなかなか取れないという人もいるので将来のことがとても心配。
それはとても深刻な心配だ。
■ケースC
(子どもS君のお母さん)
日本の国は少子化といわれている。
子ども2人、3人産み育てるのにはエネルギーとお金が必要で、夫婦で働かなくてはならない。
働きたい母親はたくさんいる。
頼りになるのは保育園だ。
保育園に行くと色々な病気に感染して
職場を休んでしまうことが多く、いつ辞めようかと考えてしまう。仕事を辞めたら生活が破綻する。
保育園にくる殆どの子ども達が冬になると青い鼻汁をたらしてコンコン、ゼロゼロしていて、細菌の巣にわが子を置いて仕事に行く切なさは筆舌につくしがたい。
また保育園は昼食後の薬を飲ませてくれないので休まざるを得ない。
そんなに休む私を、どこの職場が喜んでくれるだろうか。
子どもを産み育てる条件は大変厳しい。
高齢者が多く、子どもが少ないという逆ピラミッド型の日本の行く末に、暗い雲がかかっているようで心配だ。

今日、こんな話は巷に溢れています。
明るい話題があまり聞かれず、更に考えた事もないような恐ろしい事件の話しばかりが耳に入ってきます。

ゆきわりそうには、いわゆる弱者といわれる人々が寄り添い、吹けば飛ぶような人たちが小さな力で支えあい助け合って生活をしています。
手作りの野菜作り、小さなバザーの開催、ジャガイモや玉ねぎの販売、洗濯や食事作り、繕い物や衣類などの整理、それぞれが「お仕事」として工賃となっていきます。
「みらい」というボランタリーな活動体が2年前に始まりました。 1年間の会費は3,000円です(現会員数206名)。
「困っているときは助けるよ!困っているときは助けてね!」  無心に助け合おうとする仲間たちがあまり病気もせず、こうして町の中で生活し続けることも、一つの在り方ではないかと私は思っています。

只今、20周年期としてゆきわりそうの一つ一つのまとめを始めているところです。
どんな時にも明日に希望を持つことが大切で、それはどんな方法で得ることが出来るのだろうかと思いますが、ささやかで小さくても人と人の支え合いがある事と、自分が納得出来ない事に対し「なぜだろう?」といつも問い続けることが、これからを生き抜くのに必要であり、その一つが草の根の活動だと思っています。

2006年9月末
ゆきわりそうグループ
代表  姥山 寛代


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