発達プログラム レンガの家
「 遊び塾 」の話
一般的に「プレイグラウンド」と言われる遊び場での内容は、より面白くするために不可避的により、より高度、複雑化の方向を取らざるを得ないものらしい。
「遊び塾」のプログラム創りは、この真髄を行く。その創りは如何にシンプルで分かり易く、楽しい内容にするかに心を砕くわけである。彼等が、あそびの場に心身共に入り込んでくれた時、あそび塾の目的はほぼ達せられたと言っても良い。その為に、何某かの仕掛けを考えているのだが、その内の一つを御紹介していこうと思う。
まだ彼らが教室にやって来ない時間から私達の仕事は始まる。脚立に駆け上がって、照明をぶらさげる。黒幕を三方に張り巡らす。床に道具を飾る等、結構急がしい作業を行うのだが、これは、何もない部屋の中に仮構の空間、つまり舞台装置の様なものを創り出すのが目的なのである。
お店創りが終わった頃、彼らが三々五々やってくる。あしを踏み入れた部屋に、何か訳の分からぬ物が出現しているのを見る。必ず見る。見ていないような人でも実は見ている。中にはわざわざ舞台の中まで入って来て探索する人もいる。
あそびは、もう既に始まっているのである。私達が子供の頃、遠くのお宮から流れてくる、祭囃子の笛の音や太鼓の音、境内に飾られた日常ではない遊びの世界へ足を踏み入れた時に、心をときめかせたのは、正に遊びをあそぶ、心=身体 そのものではなかったろうか。
「今日の教室はどうだった?」
「楽しかった」
これで、充分ではなかろうか。短い時間の中に、心=身体を遊びの世界に向き合い、心=身体を使って働きかけて行く、ここに遊びは成り立っているのではないかと思われる。
「遊びをせむとや、生まれけむ
戯(たはぶ)れせむとは、生まれけむ
遊ぶこどもの声聞けば
我が身さえこそゆるがるれ」
古人の遊びへの想いは、今の私達の思いでもあるのだ。
三浦 弘之/遊び塾 講師